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前回の記事にてシン・エヴァンゲリオンを見てきた率直な感想を書きました。
で、今回は旧劇場版とシン・エヴァンゲリオンを比較するというテーマで記事を書こうと思います。
旧劇場版に比べてシン・エヴァンゲリオンってどうなんだろう?とか、ここって旧劇場版のセルフパロディやセルフオマージュだよね~、みたいなことを書きたかったので記事にしました。
ということで早速いってみましょう!
目次
旧エヴァと新エヴァの違いなどについて
精神世界への突入はシン・エヴァンゲリオンの方がわかりやすかった
旧劇では、人類補完計画の全容が視聴者には明らかにならないまま、補完が発動。
すべてのヒトはLCCへと還元され、シンジをはじめとした登場人物達も次々とリリスのもとへと帰っていきます。
そして、そこから精神世界の描写が始まるのですが、なんの説明もなくいきなり登場人物たちが心の内側を語りだし、場面もコロコロと変わっていくため、今視聴しているシーンが精神世界での出来事なんだというのが非常にわかりにくかったです。
一方、シン・エヴァンゲリオンはゲンドウが説明口調(笑)で精神世界へ没入したことを話してくれていたため、今見ているのは登場人物達が作り出した心の中の世界なんだということが理解できる構造になっていました。
あと、シン・エヴァンゲリオンでは精神世界でシンジとゲンドウが戦いますが、その戦いの現場が映画のセットのような造りになっていましたよね。
あれって、TV版26話終盤で台本を持つシンジのセルフパロディなのかな~って思いましたね。
TV版では、今の自分のままでなくてもいい、自分が望めば別のニンゲンにだってなれるんだ!とシンジは気付きますが、そのときに台本を持っているんですよね。
それのセルフパロディなんだろうなあと思いました。
巨大綾波(リリス)には笑った
旧劇で出てきた巨大綾波が今回のシン・エヴァンゲリオンにも出てくるとは思っていませんでした。
しかもCGを使っているのか、旧劇よりもリアルタッチ。
正直、アニメタッチの他の登場人物とまったく異なるタッチで出てきたため、登場したときは笑ってしまいました。
だって、あまりに浮いてて違和感あるんだもの…。
庵野監督はどういう意図があって、リアルタッチしたんでしょうか?
今まで続いてきたエヴァという作品を精算するために、旧劇と同じシーンを入れるという意図は理解できるんですが、リアルタッチにせんでもええやろー、と思います。
シン・エヴァ冒頭のパリはナディアのセルフパロディ
最後に旧劇との比較ではありませんが、面白いなと思ったシーンについて書いていきたいと思います。
映画冒頭でマリやヴィレの面々がパリで戦いますが、あの場面を見た時
「あぁ…これはナディアでNノーチラス号がパリで戦闘したシーンのセルフパロディなんだろうなあ」
と、思いました。
ふしぎの海のナディアは、庵野監督がエヴァ制作前につくったアニメ作品。
TV版エヴァでは、裏設定としてふしぎの海のナディアの世界と繋がっていることになっていました。
シンジが授業中に読んでいる教科書には、ふしぎの海のナディア作中であったパリの空中戦が載っています。
エヴァQでもナディアのアレンジBGMが使われていました。
またネルフの副司令である冬月コウゾウを演じる声優は、ナディアでも悪役のガーゴイルを演じているという共通点があります。
シン・エヴァンゲリオンでは、シンジ達と対立する立場にある冬月は、ナディアのガーゴイルとかぶるところがあります。
こういう隠れた共通点を見つけると面白いですよねぇ。
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