ブログをお読みくださり、ありがとうございます!管理人のヤマモト(プロフィール記事はこちら→)です。
センターピースのオンライン動画を視聴している最中なのですが、視聴していて改めて気づいたことがあります。
その気づいた内容を、シェアしたいと思います。
目次
いじめを自分のせいにする『崖ルート』で生きていたことに気がつく
センターピースでは「階段ルート」と「崖ルート」を学びます。
階段ルート?崖ルート?なにそれ?って思いますよね。
僕もそう思います(笑)
この両者については下記記事で詳しく書いています。
かんたんに説明すると、自分を追い込むことを「崖ルート」、自分を追い込まないことを「階段ルート」と呼びます。
仕事などなにか目標があった時に、自分を追い込んで目標達成しようとしますよね。
- まだまだ甘い!
- こんなもんで満足できない!
自分を傷つけるような言葉を、頭の中で繰り返す。
普通のことのように思いますが、傷つけるような言葉を自分に投げかければ誰だって心が疲弊しますよね。
傷つけると怒りや恐れ、悲しみと言った『マイナス感情』がわきます。
マイナス感情がわくとそれが行動の原動力になります。
行動することができるようにはなるのですが、上述したように心は疲れます。
ある程度行動し、エネルギーが無くなるとさらなる原動力を得ようと自分を傷つけます。
これが『崖ルート』です。
※上記は麻薬中毒の悪循環ジェネレーターで制作しました。僕は上記の画像のように、頭の中でいじめは「自分のせいで起きていた」と自己否定していました。まさに断崖絶壁の崖を登り続けるような苦しい生き方をしていました。
いじめは自分が原因だと思い続けるのは苦しい
僕は小中学校の頃までいじめにあい続けていました。
二十歳になった頃、いじめられていたのは自分にも原因があるんだと感じ、自分を正そうとしました。
これだけ聞くと良い話に聞こえるかもしれません。
だけど自分を正そうしている中で、僕は罵詈雑言を自分自身に投げかけていました。
ひどい時には、ちゃんと結果が出ていて誰からも褒められるような場合でも、素直に自分を褒めませんでした。
「これで満足するなよ!」
時には「死ぬこと以外かすり傷」という言葉も信じてましたね。
【関連記事】死ぬこと以外かすり傷だという言葉が好きから嫌いになった
その結果、自分自身が傷つくことに鈍感となり他人の傷にも鈍感となりました。
平気で相手を追い詰めるような言葉を言ってましたね。
自分を追い詰めることを『良し』としてましたからね。
当時を振り返るとめっっっっっっちゃ疲弊してましたよ!
ダメな奴から脱出しようとしても、行動力の源がダメな奴から脱出しようと思う意識なので、いつまでも解消されない。
完全に負のループですね(笑)
ではどうしたらこのループから解消されるのか?
それは自分を認めること。
センターピースでは「結果ではなく、結果を出す前から自分をねぎらったり認めると行動力が増す」ことを学びます。
ブログ記事を書くことを例にしましょう。
一般的に自分を認められるのは結果が出てから。
ブログであれば記事が書けたら認められるし、書けなかったら認められない。
では結果を出す前から認める場合はどうなるでしょうか。
- 「書こうという意欲が湧いたから自分を労おう」
- 「なにか記事にしようという気づきが素晴らしい」
書くという作業をする前から、意欲がわいたことや気づいたことをねぎらい自分を認めます。
するとあら不思議!自分を傷つけていないのに行動力がわきます。
自分を傷つけずに、逆に自分を労いながら行動力を得ると疲労感が減ります。見える景色が変わりますよ。
自分をねぎらう事についてのエピソードを1つ紹介したいと思います。
ある時、誰からも褒められてもうれしくない時がありました。
なぜなんだろうと色々考えました。
朝の東横線内で延々と思索してましたよ。
そしてある時わかりました。
一番褒めてほしい存在は自分自身である、ということを。
今まで体にあった重荷が一気に取れたように感じました。
感動のあまり泣きたいとも感じましたね(実際は泣きませんでしたが)
自分で自分を認めらようになると景色が変わります。
自分はダメな奴ではないと心の底から言いたかったんだと思います。
もしあなたがセンターピースの内容に興味をもったのであれば、センターピース関連の記事をぜひ読んでみてください。
コメント